何でもあって何にもない

気づいたらアラサーに成っていた。日々あまりにパッとしなさすぎるので、折角だから色々記録してみる事に。

水道水、それは一人暮らしの生命線

最後に水道水をのんだのはいつですか?

 

東京都の水道水はそのまま飲めるって何年か前からPRされたりしてますよね。でも実際のところ皆のんでますかね?

私自身も結局お茶を買って来ていたり、作ったりして飲んでたりするので、実質煮沸の過程を経ていない水道水を飲む事はほとんどない。

 

そんな水道水だが、一人暮らしを始めてから年に数回飲むことがある。

それは、本当に家に何もない時。そして何らかの理由で自身が身動き取れない時!

 

1人暮らしをしていても、恋人がいたりかなり近くに友人が住んでいる場合。身動き取れない状況になったとしても、携帯の充電さえあれば、「差し入れ」という名の天の恵が供給される可能性がワンチャンあり、水道水に頼らない生活が可能かもしれない。

 

しかし、あいにく私の場合ソロ活動が長いためまぁまぁ水道水のお世話になっている。(あと、病気とかだと人に頼ろうという気にもなるが、理由が「二日酔い」とかだと優しくしてくれる人も圧倒的に少なくなるというものだ)

 

この間もはちゃめちゃに二日酔いをして家の冷蔵庫開けたら、無糖の炭酸水しかソフトドリンクがなくって、その現実に膝から崩れ落ちましたよね。

こんな状態で炭酸飲料飲んだら口に入れた瞬間吐いちゃうから!!

と心の中で、過去の自分にブチ切れながら、家中飲み物を探しましたよ。そういう時にかぎってさ、まったく無いのね。。。飲み物。。。

 

でもこのままじゃ、○パリーゼの錠剤も飲めないし、何より脱水症状で死んでしまう。。。でも外に出るための、着替え・洗顔を筆頭にした作業が何一つ出来る気がしない!!

 

そんな時気づいたわけです、「蛇口ひねったら水出るな⁉︎」と

 

蘇る記憶、昔も同じ様な状況の時お世話になったな。。。アイツにと

 

コップ片手にヒネる蛇口、出る水、、、、

あぁ、払ってて良かった水道料金、あって良かったライフライン

と噛み締めながら飲みましたよね、水を。

「絶対水道料金だけは!滞納しない!!」と心に誓いましたよその瞬間。

 

結局その日は水道水のおかげで命をつなぐことができました。

水があれば人間1週間は生きられるって何かモノの本にも書いてあったし。

 

とりあえず、炭酸水以外のソフドリも常備する様にしようと思った夏の日でした。

三十路のデブロード~旅のはじまり~

ほぼ一年ぶりに体重計に乗ってみた。

 

あの装置に乗るまでは激しい葛藤があったが、友人からの説得もあり、思い切って乗ってみることにしました。(今思えば友人は私の劇太りを心配しているのかもしれない)

 

さて、思い切って乗ったわけですが、たまげた!!

マジで、たまげた!すげー体重増えてた!!

 

なんと控えめにいって7㎏増えていた。正直に言うと四捨五入すると8㎏増えていた。何があった私の体よ…。悪魔の装置(体重計)が壊れてる可能性を考えて、1年前くらいの自分の画像を掘り起こしたところ完全に輪郭が変わっていたので、どうやら私の方が壊れてたみたいだ。

三十路の垣根を越えて格段に下がった代謝と、衰える事を知らない食欲のコンボがこの事故の原因だろう。

 

本当に脂肪と戦って行かなければいけないようだ…。

このままでは病気になってしまう。

あわてた私は周りを見渡して一緒に戦ってくれそうな仲間を探しました。

 

いた。すぐ見つかった。

 

共闘してくれそうな仲間。

 

ちょうどよく同じ様な悩みを抱えていたMちゃんが仲間に加わった。

どっちもお調子者で盛り上がりやすい性格の私たちは、痩せる痩せる!と騒ぎ。

各々が持ち合わせる、ダイエット情報をひけらかし合いました。

 

私は、盛り上がったテンションそのままに、エプソルムソルトとカロリミットと踏み台(百均)を購入

matome.naver.jp

こうして私たちの長く険しい旅が始まったのです。

肉を煮る夜

現在、夜の23時30分を少し過ぎている。あと30分せずに日付が変わるという感じのところ。

 

私は自宅で肉を煮ている。

煮込み料理を作り始めてしまったため、このまま行けば寝れるのは朝の4時頃になる見込みだ。待ちや作業の時間がかかる料理は翌日が休みでないとできないのだが、貴重な休みの前に衝動的に肉を煮始めてしまった。なお今私はかなり眠い。

 

友達に連れて行ってもらったライブで、演奏されたある曲があまりに刺さり過ぎてしまい、【何となく自分の中でハッキリさせられなかった感情が輪郭だけでも得たような感覚になった】のが切っ掛けとなり衝動的に肉を煮る。なんだかよくわからないが本当にそうとしか言い表せない状況が今だ。

 

 

少し前から割と頻繁に料理をする様になった。とはいえ1週間くらい保存できる用な物ばかりを、週に1度まとめてつくっているだけなので言う程頻繁ではない。

1週間で作った物は消費しなければなので、職場にお弁当として持参していたりする。

そのため周りの人に急に「なぜ自炊を始めたのか?」と聞かれたりもするのだが、何故こんな事を始めたのか自分でもよくわからず「節約ですかね?」とか答えていた。

あまつさえ、インスタにも料理を作った日には写真をアップしたりして、誰に向けて何の為にやっているんだ?とふと我にかえる事が無くは無かった。

 

今日気づいた憶測ではあるが、始まった時期を鑑みてもおそらく私のこの行為は概ね父に向けられているようだ。

もう居ない人に向けた報告先の無い報告を「何処かに届け!!」とばかりにインスタというネットの海の一端に放流しているのであろう。

(見せられている人に取っては良い迷惑だろう)

伝えたい事は1点「あなたが居なくなった後も、わたしはそれなりにちゃんと生きてますよ」であろう。

たぶん「ちゃんと」している感を出したくて、わかりやすく料理しているアピールになってしまっているのだろう。

何でも無い、くだらない報告でも良いのだろうが、そこは私の見栄だと思う。

 

なんかそんな事を考えながら、お酒を飲みつつLIVEを見ていたら、急に父がよく作っていた料理を作りたくなり、衝動的に肉を煮始めるに至った。(あなたの教えてくれたヤツもちゃんと作ってますよアピールだろう、おそらく)

こんな感傷的に煮詰められる肉もかわいそうだ。

 届かない意味の無い事だと解っても、それでも私は一番届いて欲しい報告先には届く事の無い報告をまだしばらくは続けてしまうのだろう。「私、それなりに生きてますからね」という気持ちを込めて。

 

 

 

 

なお、一緒にLIVEを見に行っていた友人に「LIVE凄く良かった、心めっちゃ動かされて、今から肉を煮るよ!」とテンション高めに報告したところ

 

サイコパスかよ」

とのお言葉を頂いた。

確かに、その文だけ見ると意味解んなすぎると思うけど、本来はこんな感じです。言葉足らずですみません。

あいつらに届け!この思い!!

好きな人の話~アラサーが集まった~

アラサー(全員独身)が3人集まって、鍋を食べ酒を飲み、最後に自分が好きになった人の話をした。この文章だけで、眩暈がする。

 

もうかれこれ5~6年前だと思う。同僚に誘われて付いて行ったイベントで遭遇した人だった。

同僚の取引先の人が企画したイベントかなんかで、私はその取引先の人もしらなし、同僚も付き合いで来ました~みたいな感じだったし。二人で特に盛り上がる事もなくフラフラしたりしていた。

同僚が突然「この中にいる人だったらどの人が一番タイプ?」って聞いてきた。そう言われて周りを見渡したら、一人すごいかっこいいなと思う人がいたので「あの人かな?」といった。

同僚と私はビックリするくらい好きなタイプが違ったので「え…ほんとあんたは髭が似合えばだれでも良いんだな」と軽くdisられた。

 

嘘みたいな話だけど、その後の飲み会にそいつが現れた。どうやら我々を呼んだ人の後輩にあたるらしい。名前を「次郎(仮)」といった。

そこから紆余曲折あって、何回かご飯言ったり飲み行ったりした。多少のドキドキイベントもあった。そして、おそらく1年くらいの時間をかけめでたく恋人ができた。

次郎に!!

今思い返しても、欠陥人間の私と何度かご飯に行ってくれる優しさがあったし、私に褒めるところが皆目なくても、服を無理やり褒めたりしてくれた。(まさかの上下ユニクロでも褒めてくれたことがあったから、次郎のセンスが壊滅的だったという説がある。)優しい人だったと思う。

当時仕事が忙しすぎて、ご飯の誘いを2回ほど断ってたら、3回目にきた連絡が「彼女ができたからもう二人でご飯いけません」という趣旨のメールだった。

私は当時の上司に怒りをぶつけた。それだけでは気がすまず次郎と撮ったプリクラが貼ってある手帳をシュレッダーにかけた。

(泥酔して撮ったものだったので、白目を剥いていたりろくなモノではなかった。)

同情した上司がそこから2日間くらい酒を奢ってくれた。

次郎とはその後も近い業界で働いているので、何か歯車が狂ったら再会してしまいそうだが、そんな事故が起こらない事を祈るばかりだ。

 

酒が入ってたせいかこのエピソードを披露した後、流れるように中島みゆきの「わかれうた」をみんなで合唱した(集まったアラサーのうち一人がギターが上手かった)

www.youtube.com

なお、他の2名もビックリするくらい遥か昔に自主的に恋愛行動をスタートさせる方法を忘れており、10年近く前にした片思いが最後という猛者がいた。

とにかく全員、仕事をしたり、趣味に時間を割いているうちに恋愛ジャンルがおろそかになっているという現象が顕著に現れていた。

まぁ、最終的には「やればできる!!」を合言葉に解散となった。

アラサーの問題先送り能力の高さよ…

今年度も変わらずインスタント麺を愛して行く事を!誓います!!

今日も相変わらず私は、インスタント麺が好きだ

愛してるよ~。愛してるぜ~即席麺!!

 

先日会社の上司たちが海外出張のお土産として、海外版カップ麺を買ってきてくれました。

しかもこれが、電子レンジで作るタイプという、私が好きなヤツでして!!歓喜でした。

 

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こちらが買ってきてもらった商品の画像です。

パッケージにものっそ「YAKISOBA(やきそば)」って書いてあるけど、

その下にしれっとチキンフレーバーってかいてある。

 

日本の感覚だと、焼きそばと言えば、ソース・塩とか醤油とか、調味料的な名称が入りそうなとこにチキンフレーバー!!

 

恐る恐る冷水をぶち込みレンジでチン

 

ちなみにもう一つ特筆すべきは、こいつカップ焼きそばだけど、湯切りという過程を必要としていない。水をぶち込んでレンジでチンするだけ。

水はレンジの中で麺に吸われ、水蒸気となって程よく消えるという仕組みだそうです。すごい、麺の食感殺しにかかってる作り方だ。。

 

最高だ・・・

 

この麺のコシとか、食感を大胆にも無視する作り方に好感しか持てない。

海外のインスタント麺はこうでなければ。

 

10分弱たってレンジからでて来た麺が案の定グズグズ。味は正直チキンコンソメを整えただけのような味でした。

 

それがいいんですけどね。

概ね期待通りでサイコーの味でした。やっぱり世界規格のインスタント麺はいい。素朴でカロリーだけを追求した様な佇まい。奥ゆかしすぎます。

 

日本のカップ麺には無くなってしまった風情がソコにはありました。

 

こうして凝りもせず高カロリー食品を食べてまた一回り(物理的に)成長する私でした。

再会〜本当はずっと会いたかったよ〜

私は昔本屋で働いていた。学生だったので、就職先にありつけた私はその仕事を辞めた。

私が退職する時、同僚の一人がなぜか岡村靖幸の「OH!ベスト」をくれた。「社会に出て辛い事があったらこれを聞くんだよ」という一言を添えて。

岡村ちゃんが3度目の逮捕をされた1か月後の出来事だった。

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なお私は、それまでこの同僚に対して1回も岡村ちゃんが好きとか言った事は無いし、なんだったら、同僚の方が岡村ちゃんの歌詞がすごいとか、当時のPV見てて子供ながらに、「大人になったらあんなゴリゴリに肩パッド入った服着なきゃいけないと思って憂鬱だった」とか言ってた。たぶん彼なりの賞賛だったんだと思う。ある意味自分が好きな物をくれたんだと思う。

 

社会人になったら想像よりつまんない仕事との戦いの日々だったので、割とすぐに辛くなった。

だから言われた通りにもらったCDを聴いた。(言われたことや、アドバイスはわりと素直に聞く人間なので)

マンションの発音が限りなく「”メ”ンション」な所とかがすっごい新鮮で、面白いし歌うまいし、気になってPVをYoutubeで見てみたら、肩パットとか凄いし、私は何回も何回もそのアルバムを聴いたり、PVを見たりして結果なんかすごく元気になって、なおかつ仕事を辞める勇気も出た。岡村ちゃんの事も好きになっていた。

そして私は最初に入った会社を辞めた。

 

そこからさらに月日が流れて、私は自分がやりたい様な事も少しはさせてもらえる会社に運よく潜り込んでいた。

私が、退職の時に岡村ちゃんのCDを貰って、それがきっかけで岡村ちゃんも好きになったし、会社も辞める元気が出たエピソードは割といい話として色んなひとに話していた。CDをくれた同僚とはそれから会ってなかったけど、常々会いたいとは思っていた。

 

そして仕事は全く関係ないけど、ここ1年くらいよく遊んでくれる友達がいて、その人が都内のお寺を借りて開催されるLIVEイベントのスタッフをしてるというのをずっと聞いてた。先日そのイベントに行ってみた。

 

お寺の本堂がライブ会場になっていて、会場である本堂に入ったらCDをくれた元同僚にそっくりな人がいた。

最後に会ってから8年は経っているのでもう少し見た目変わってたほうが自然だと思うのだが、全然変わってない元同僚がそこにはいた。仙人かよ

 

あまりに突然の出来事にドッペルゲンガ―の可能性も考慮して、スタッフをしている友人に聞いてみたところ、どうやら間違いなく元同僚だということを確信した。

その友人にも、私がCDもらった話をしたことがあったので、前に話た私の元同僚とは彼の事だと伝えた。友人は「うわぁ~~~」と言って私よりびっくりしていた。

 

 LIVE終了後、感動の対面をしようと話かけた。8年ぶりの予期せぬ再会だ。私は上がるテンションを押さえ「ご無沙汰してます…あの○○(本屋名)でお世話になった…」とボソボソ話しかけたら

 

「あ、ひさしぶり~!どうしたの~?」とすっごく軽く言われた。

リアクションうすっ!感動ゼロかよ!!

感動の再会の予定だったが、相手のペースに完全に飲まれてすごくゆるい感じでお互い8年分の出来事をダイジェストで話た。

そして、忘れていた凄く大切な事を思い出した。

 

この人と話すと、いつもこの人のペースに飲まれる事。

私は割と色々考えすぎてピリピリしやすい性質なのだが、この元同僚は全く逆で基本肩の力が抜けている。良くも悪くも力むことがない人だった。

その態度が適当だとか、怒る人もいた。私も同僚時代彼に対してしっかりしろよ!とか、もう少しちゃんとやろうぜ!とか思うことが無かったわけじゃないけど、いつも彼と話してると、なんとなくそれで良いような気になってしまっていた。

話しているうちに、彼のペースに飲まれていってるだけなのだが、ピリピリしがちな私にとってそれは、凄く気が楽になる時間だった。

 

ずっと会いたいと思ってたのは、CDのお礼が言いたかった訳でも、岡村ちゃんの話をしたかった訳でもなくて、彼のペースに飲まれる感じをまた味わいたかったんだ。

なんの話をしても、煙に巻かれてしまう胡散臭い仙人と話すのはこんな感じなんだろうか。色々伝えたいことはあったはずなのに、些末な事は煙に巻かれて「会えてうれしかった」くらいしか言えなかった。

 

仙人とは連絡先も交換せずに別れた。たまたま会える方が仙人っぽいと今なら思うけど。本当は仙人との会話で煙に巻かれて言い出せなかっただけだと思う。

 

自分でも気づいていなかったけど本当はずっと会いたかった、胡散臭い仙人に東京のお寺で会った。

 

また何処かで会いたい。

街角?居酒屋?どこで会えるか解らないけど、私がしんどい時にはまた出てきてほしい。そしてまた私を煙に巻いて欲しい。

母と私の弁当戦争〜オフクロの味ってなんなんでしょう〜

この前に書いた通り、父が急逝したためそれ関係の事でバタバタしていたのですが、なんとなく落ち着いてきたのとせっかくなので、今回は母について書いてみた。

 

みなさんはオフクロの味ってありますか?

純粋に美味しいと美味しくないじゃなくて、色々な思い出やエピソード込みのヤツ。ちなみに私は有るような、無いようなって感じだ。

具体的なメニューってのは無いのだが、しいて言えば大雑把な料理全般に母を感じる事が多い。

 

先日も鍋を家族で食べた際にも、残り少なくなった野菜や肉などを、皿から一気にまとめて鍋にぶち込んでる(おそらく、きちんと鍋をしたい人とかがやられたら激怒するレベル)のを見た時に、「あ、私いまお母さんの料理食べてるな!!」と実感した。

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↑こんな感じ

決して料理が下手だとかそういうことでは無いの。ただただ大雑把で大胆なのだ。

 

そんな大胆なセンスを持ち合わせた母なので、お弁当においても独特の大胆さはもちろん炸裂。特にその真価が発揮されるのが詰め込み段階だ。

汁気は少ない方が良い!

混ざったら美味しくなさそうな物は近くに並べない!

そんなセオリーは母の前には無力です。

小学生の時、煮物のだし汁に漬かったイチゴを食べた時に私は理解しました、「お弁当の詰め方って大切なんだ」と…

(なお今でも鮮明に覚えてるくらい、イチゴのだし風味は不味かった)

 それでも、私は中学校まで給食システムだったし、本当にお弁当なんて年に数回の事だったから、その数回を我慢すればいいだけの話だった。

 

問題が起こったのは私が高校生になった時だった。

私の通うことになった学校は、そんなに大きな規模の学校ではなく、校内に購買は有るものの、学食とかもなく必然的に毎日弁当という空気が漂っていた。

もちろん母本人も作る気でいる。今思えばフルタイムで勤務している母に通常の朝食作りにプラスしてお弁当なんて、ほんとありがたい話だし。依頼もしてないのに作る気でいてくれてるなんて、感謝してもしたりないくらいなのだが。。。

当時の私はイチゴのだし風味のフラッシュバックに恐怖した。

そして母に伝えた「勘弁してください」

母きょとん、そりゃそうだ感謝こそされ拒否されるいわれなどないハズなんだから。

 

私はとにかく言葉を尽くして母に説いた。

イチゴのだし風味の不味さを、お弁当を詰めるという行為の重要性を、毎日食べたら絶対家族の関係に亀裂が入る気がすることを、そして、母にそのセンスがない事を。

中学卒業したての小娘がだいぶ生意気な事を言ったとは思う。

その上で私は1つの提案をした。

「自分で作るから」

今思ってもなぜこんな提案をしたのかは謎である。それほど母の詰めるお弁当は、脅威だったんだろう当時の私にとって。

正直母は私が途中で投げ出すと思っていたらしい。

私は勉強さぼったり、なんだり親をヤキモキさせるバカな子供だったけど、お弁当だけは3年間自分で作り続けた。

 

3年やりきった私を見て母は「こいつそんなに私のお弁当嫌だったんだ」としみじみ思ったらしい。

3年前の抗議が本気だったと伝わった瞬間だった。

母に「そんなに(私の)お弁当嫌だったんだね」と言われ

「別にお母さんの料理が嫌いなんじゃないんだよ。ただ詰め方が合わないだけで…」と気まずいながら答えたのを今でも覚えている。

 

私は家を出てもう母にお弁当を作ってもらう事は無くなった。本当に良かったと思っている。

この話を友人にした時に、補足として「別に料理1つ1つは不味くないし、むしろ得意なメニューだってあるんだよ」と言ったところ。

「クリエイターとしては問題ないけど、編集者には向いてないみたいな感じだね」っと言われた。

そう!それなんです!!と思った。

あまりに納得出来すぎたので、母本人にも伝えたところ大爆笑していた。

そして、大胆にかつ勢いよく鍋に具材を放り込んでいた。

私は「雑だな~」と呟いた。

 

だから、私にとっては大雑把な料理は大体オフクロの味です。