何でもあって何にもない

気づいたらアラサーに成っていた。日々あまりにパッとしなさすぎるので、折角だから色々記録してみる事に。

母と私の弁当戦争〜オフクロの味ってなんなんでしょう〜

この前に書いた通り、父が急逝したためそれ関係の事でバタバタしていたのですが、なんとなく落ち着いてきたのとせっかくなので、今回は母について書いてみた。

 

みなさんはオフクロの味ってありますか?

純粋に美味しいと美味しくないじゃなくて、色々な思い出やエピソード込みのヤツ。ちなみに私は有るような、無いようなって感じだ。

具体的なメニューってのは無いのだが、しいて言えば大雑把な料理全般に母を感じる事が多い。

 

先日も鍋を家族で食べた際にも、残り少なくなった野菜や肉などを、皿から一気にまとめて鍋にぶち込んでる(おそらく、きちんと鍋をしたい人とかがやられたら激怒するレベル)のを見た時に、「あ、私いまお母さんの料理食べてるな!!」と実感した。

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↑こんな感じ

決して料理が下手だとかそういうことでは無いの。ただただ大雑把で大胆なのだ。

 

そんな大胆なセンスを持ち合わせた母なので、お弁当においても独特の大胆さはもちろん炸裂。特にその真価が発揮されるのが詰め込み段階だ。

汁気は少ない方が良い!

混ざったら美味しくなさそうな物は近くに並べない!

そんなセオリーは母の前には無力です。

小学生の時、煮物のだし汁に漬かったイチゴを食べた時に私は理解しました、「お弁当の詰め方って大切なんだ」と…

(なお今でも鮮明に覚えてるくらい、イチゴのだし風味は不味かった)

 それでも、私は中学校まで給食システムだったし、本当にお弁当なんて年に数回の事だったから、その数回を我慢すればいいだけの話だった。

 

問題が起こったのは私が高校生になった時だった。

私の通うことになった学校は、そんなに大きな規模の学校ではなく、校内に購買は有るものの、学食とかもなく必然的に毎日弁当という空気が漂っていた。

もちろん母本人も作る気でいる。今思えばフルタイムで勤務している母に通常の朝食作りにプラスしてお弁当なんて、ほんとありがたい話だし。依頼もしてないのに作る気でいてくれてるなんて、感謝してもしたりないくらいなのだが。。。

当時の私はイチゴのだし風味のフラッシュバックに恐怖した。

そして母に伝えた「勘弁してください」

母きょとん、そりゃそうだ感謝こそされ拒否されるいわれなどないハズなんだから。

 

私はとにかく言葉を尽くして母に説いた。

イチゴのだし風味の不味さを、お弁当を詰めるという行為の重要性を、毎日食べたら絶対家族の関係に亀裂が入る気がすることを、そして、母にそのセンスがない事を。

中学卒業したての小娘がだいぶ生意気な事を言ったとは思う。

その上で私は1つの提案をした。

「自分で作るから」

今思ってもなぜこんな提案をしたのかは謎である。それほど母の詰めるお弁当は、脅威だったんだろう当時の私にとって。

正直母は私が途中で投げ出すと思っていたらしい。

私は勉強さぼったり、なんだり親をヤキモキさせるバカな子供だったけど、お弁当だけは3年間自分で作り続けた。

 

3年やりきった私を見て母は「こいつそんなに私のお弁当嫌だったんだ」としみじみ思ったらしい。

3年前の抗議が本気だったと伝わった瞬間だった。

母に「そんなに(私の)お弁当嫌だったんだね」と言われ

「別にお母さんの料理が嫌いなんじゃないんだよ。ただ詰め方が合わないだけで…」と気まずいながら答えたのを今でも覚えている。

 

私は家を出てもう母にお弁当を作ってもらう事は無くなった。本当に良かったと思っている。

この話を友人にした時に、補足として「別に料理1つ1つは不味くないし、むしろ得意なメニューだってあるんだよ」と言ったところ。

「クリエイターとしては問題ないけど、編集者には向いてないみたいな感じだね」っと言われた。

そう!それなんです!!と思った。

あまりに納得出来すぎたので、母本人にも伝えたところ大爆笑していた。

そして、大胆にかつ勢いよく鍋に具材を放り込んでいた。

私は「雑だな~」と呟いた。

 

だから、私にとっては大雑把な料理は大体オフクロの味です。