何でもあって何にもない

気づいたらアラサーに成っていた。日々あまりにパッとしなさすぎるので、折角だから色々記録してみる事に。

出来た父だな!

こういう内容を不謹慎と思う方もいるかもしれませんし、ネタだと思われることもあると思うのだけど、自分の思ったことや残したい気持ちでありなおかつ、今しか書けない事だと思うので、書き留めておくことにします。

今朝がた突然父が亡くなった。ほんの3時間半ほど前に寝てたら電話が鳴って、それで起こされた。
取り乱した母からの電話でとりあえずフツーの状況じゃない事だけ解るな〜みたいな電話だった。落ち着いてくれと繰り返すこと5〜6回、父が急逝した事がようやく私に伝わった。

突然過ぎて意味がわからなかった。

なお今も意味はわからない。これは実家への移動中に書いているのだが、あと2時間半もすると嫌でも実家についてしまう。現在も公共の場で、不定期に泣き散らしながら移動しているが、おそらく実家の玄関をくぐったら今以上の恐怖と悲しみが待っているんだとおもう。とわいえ、帰らない訳には行かないのでジタバタせずに向かっている。

幸いに仕事の上司にもすぐ連絡がついたので朝の出来事にも関わらず、スムーズに実家に迎えた。

父はパーキンソン病だったのだが、まだ自力での生活も問題なかったし、私は父の葬式の手配を向こう5年くらいする事は無いとおもいこんでいた。なんなら昨日の夜に父の誕生日が近いから電話を誕生日にいれてやれと母からメールで言われてたくらいだから、母もそんなつもりは無かったはずだ。

でも父は誕生日を待たずに逝った。

誕生日に電話する予定だったのに。なにをしているのだあの人は。
率直にそう思った、なにをしてるんだ本当に…。コレが父の急逝にあたっての率直な感想だ。

父の急逝は三連休の前日となり私は運よく仕事のこともあまり心配することなくうごけているし、このままいけば49日もGWにぶつかるらしい。泣き散らしながらその事実に気づいたとき、なんという出来た父親だとおもった。

私は父の望んだ娘には到底ならなかったけど、私たちはお互いを嫌いあうこともなく家族でいられたことは本当に幸せだったとおもう。
お互い理解しあえてなかった事も多かったけど、大らかに育ててくれた事には感謝しかない。いずれ書こうと思っていたが、病気をしてからの父の方が素直で私は好きだった様におもう。なにより面白かった。
父の病気の事では色々揉めたこともあったが、今となっては、家族のいい思い出になった。結果オーライといえよう。
コレから母と2人になってしまい、母の時たま作る甘い味付けのオカズとスキヤキに抗議する仲間が居なくなってしまったことは誠に心細いが、致し方なしとしよう。
あと、父とまったく同じところに昔から黒子があり、なんか機会があったら取ってもいいかも?くらいには思っていたのだが、たぶん取らないと思いますよお父さん。


子供の頃父が褒めてくれた作文をする事でなんとか気を紛らわせつつ、実家にむかう。
天気が良いから移動がらくだ。
本当に出来た父だな!