結婚してくれと人に頼んだ話~ワンマン結婚式~
よくわからない決断をある日してしまうということがある。
その昔、私と結婚式を挙げてくれと人に頼んだことがあった。
今もって私の戸籍は生まれたままの感じなので、籍を入れたりしたとか、真剣なプロポーズしたとかではない。本当に真剣に結婚式だけを挙げてほしいと頼んだのだ。
全てのはじまりは、かれこれ四年以上前、祖父がガンになったと連絡が入った。
私は祖父が大好きだったので酷くショックをうけた。さらに本人の希望で積極的な治療は行わないという判断がくだされ実質余命1〜2年みたいな感じに急になってしまった。
その日から、祖父の喜ぶ事を何かしてあげたい、なにか一つくらい祖父の願いを叶えたいという謎の焦燥にかられる日々がつづいた。
結婚式、それが余命宣告された祖父の心残りだと聞かされたのはそれから少したってからだった。
それが、家族の中で唯一私だけが叶えられる祖父の喜ぶ事だった。
我が家は三代続いた一人っ子のため祖父の孫は私しかおらず、もちろん父に兄弟もいないため他にこの願いを叶えられる人材がいなかったのだ。
よりによって結婚…。いや当然といえば当然だ。たった一人の孫が結婚もせずのらりくらりと生きている。祖父にしたら心残り以外のなにものでもない。
一人で出来る事であれば大概のことはなんとかしようという心持ちはあったものの。さすがにこれは無理……。
と一時は思ったものの、とりあえず結婚式というセレモニーだけ挙行するというのは可能ではなかろうか??という無茶なアイデアが私に降ってきたのだ。
祖父の余命に突き動かされた私の行動力は、よくわからないブーストがかかり、一人の男友達に白羽の矢が立つまでそう時間はかからなかった。
当時彼氏もいなければ、好きな男も居ない私ではあったが数少ない親しくしてくれる男友達の1人であり、なおかつ現状恋人も居おらず、作る意欲もない彼は最適な人材に思えた。
私と彼の間にはおよそ恋とか愛とかの類いの感情はなかったが、何故か近しい物事への価値観のお陰で仲良くやってこれていた。
11月のある日、それなりに長い付き合いの彼を呼びだし、私は一生のお願いだから、私と結婚式をしてくれないか?と頼んでいた。
今振り返っても狂気しか感じない。ある日突然結婚式のお願い。私が男ならふざけるなといって即帰りたい。
でも、彼は取り乱す事なくきちんと事情を聞いてくれたうえにまさかのOKの回答を叩き出したのだ。
うそやろ!?
頼んでおいてなんだが、私の率直な感想はこれだった。
しかし、私から嫌というほど祖父が好きという話を聞かされまくっていたりなんだりした彼は脅威的な懐の深さで新郎役にOKを出した。
まぁ実際に後から聞いたら、私があまりに突拍子も無い事をいいだし、その割にめちゃめちゃ必死だったのを見てなんか面白そうという気持ちも少なからずあったそうだ。
なお本人は結婚などに一切関心がないタイプだそうで、最近会った際も未だに自分の人生に起こるイベントではないと思ってるとのことだった。
こうして、私達は結婚式を挙げることをあっという間に決めてしまった。
とわいえ、これは完全に我が家の事情なので、祖父の家からの最寄りの挙式可能場所をピッアプし、家族の予定を調整し衣装や、当日の移動を含めたの段取りを組むのは全て私がやる事になった。
ワンマン結婚式だ。
自分の結婚式を完全に1人で手配、何かのコントのようだった。
季節は祖父の体調を鑑みて、暖かくなる4月と定めた。
母にだけは先に事情を話し、結婚式挙げる宣言をした。その際相手は友情出演である事も正直に話した。
母、爆笑
そのまま本当に結婚したらいいのに!といいながら爆笑していた。
おおらかなのか、娘のやる事に関心がないのか超笑ってた。まったくビックリされなくてこちらがビックリした。
とにかく身内だけのイベントであり、なおかつ、私としては家族の集合写真を撮るのが最終目的みたいなイベントのため、そんなに費用もかさまず、私1人でなんとか支払えそうだ!と目処がたち場所も仮押さえをした。
年が明けた、私は自分の誕生日に家族に結婚式の告知をするぞ!と意気込んでいた。
誕生日の2日前、祖父が死んだ。
余命1〜2年といわれていた祖父は告知から半年程で突然亡くなってしまった。
全てが無用の長物になった。
予定より2日早く田舎にかえった。
祖父の葬式が先にやって来てしまった。
葬式ではまったく涙が出なかったが、1人で東京に帰る過程でベソベソに泣いた。東京行きの新幹線であんなに泣いてるのは赤子か私だけではないだろうか?くらい泣いた。
そして、ワンマン結婚式の全てをキャンセルした。
バチがあたたったのかもしれない。
結婚という行為を、する気もない友達を巻き込み、祖父に見せて安心して欲しいという自分の欲求の為だけに使おうとしたから、バチがあたったのだと思った。
もちろん友情出演もキャンセル。
怒ったり、責めたりせず、慰めてくれた彼には今も感謝しかない。
今思えば、結婚式しなくて良かった。
その時は良くても、後から無駄な諍いのタネになっていたかもしれない。
思い止まって本当によかった。
死ぬ事はどうにもならないし、余命宣告も全然当てにならない。
あの時の事をふりかえると初めての身内の死を目前に動揺しまくり、なにかをしていないと不安だった自分が滑稽だなぁと思う。
別に結婚なんてしなくても、滑稽ながらも毎日生きてたらそれで良いじゃんと今は思えるようになった。
ウニ作文の話
研修で書いた文章を記録の為に残す。
40分くらいでやっつけで書いた物なので知ってる人によまれるの恥ずかしいが、元のデータを消すので、こっちに残しておきます。
既に会社の人間にはよまれてるのでまぁいいか。
だいたい物語を作るときテーマソングを勝手に決めて聞きながらかいてるんですが、
今回は安藤裕子を聞いて書いた記憶ある。
一人称で書くので、お前の自意識なのか?と講評をしていた人にも言われたが、別に曲を聞いてて出てくるイメージの映像を基に想像しているだけなので、完全に他人事なんだよな。
色々音楽聞いて色んな光景を想像するの楽しすぎる。
これと近い理由で、たまに聞いてる音楽と呼んでるマンガとかがめちゃめちゃリンクするとやばい薬決めてんのかな?くらいトリップする時あるので、その組み合わせを見つけるのが密かな人生の楽しみ。
私の場合小説とかだと情報処理に脳みそが追い付かないので、インストしか対応できないですが。マンガだとボーカルありでもシンクロできる。
良い組み合わせしってる人いたら教えてほしいです。
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【kill me kill me】
『本日のゲストは女優の『坂田 海』さんで~す』
司会の女の声が響く、目の前の布が開く、スタジオの照明はまぶしくて目に痛い。
この手のトークバライティ番組、嘘をつきすぎない様に質問を受け流すのが面倒だ。
頼まれた自宅の映像、飼いネコを中心に撮ってなるべく部屋の細部や家具は映さないようにした。
『海さんは猫ちゃん飼われてるんですね~!しかも、名前がちょっと変わってるって聞いてるんですけど~』
「ふふ、そうなんですよ、この子女の子なんですけど『横綱』ってよんでて~」
これは本当
「最初はかわいい名前ちゃんと付けてんですけど、なんだかドンドンおっきくなっちゃって、それで自然に友達とかも「横綱」って呼び始めちゃって」
これは嘘、最初から名前は横綱って決めてた。
「やっぱり女優さんって食事とか気を使ってるんですよね~?」
いや、絶対君たちアイドルのが気を使ってるでしょ…、なんならこっちは仕事柄太らなきゃいけないこともまぁまぁあるし、と言いたいところを堪える。
「いや~、なるべく運動はするようにしてますけど食事はそこまで厳しくしてないかな~食べる事大好きなんで~」
なるべくとかじゃなくてめちゃめちゃ運動してるし、食べる事は大好きでも食べたい物を好きなだけ食べるなんてしばらくしてないけどね。
『食べ物の好き嫌いとかあるんですか』
「や~全然ないです、結構なんでも食べれちゃうんですよ~」
これは本当、とうふは苦手だけど。
『やっぱり学生の頃からモテたりしたでしょ~』
「えぇ~全然そんなことないです。地味な子でしたし、ふふふ」
きた、学生時代の質問基本NGって事務所には言ってあるのに聞いてきた。後でマネージャーにクレームだ。
中身のない話を2時間弱しゃべった。全部ウソでもないけど、全部本当でも無い話。
これが色んな人の手を通って30分くらいにまとめられて、電波に乗って人様に見られる。そして私のイメージが出来上がる。
疲れて帰る家、ドアをあければ横綱が迎えてくれる。
「横綱」10代の頃の私と同じ呼び名の猫。私の分身。
地味で引っ込み思案だったせいか家で遊ぶことが多くて、運動も好きじゃなかった、なのに骨格は恵まれていた。
中学生になる頃には、背が大きくて目立つのが辛くて猫背になった。見られたくなくて家にばかりいるようになったら、面白いくらい太った。
「綱島 海」四股名っぽさあふれる本名、ついたあだ名が「横綱」。付けたのは当時好きだった男の子だった。
暗い私が、家で引きこもって、同級生からからかわれるのを家族は半ば仕方ないくらいに思っていたようだ。
大学に進学と同時に地元から離れたのをきっかけに、自分を変えたくて死ぬ気でダイエットをした。とうふを主食に据えて見るのも嫌になるほど食べた。
毎日、体重と走った時間を携帯のダイエットアプリに記録し続けた。
脂肪がおちて、姿勢が良くなるのには1年かかった。
背が高い事が幸いして、モデルにスカウトされて、たまたまチョイ役で出た映画が批評家達に好評で、気づいたときには女優と呼ばれるようになった。
事務所にお願いした事は本名を出さない事と、中学・高校時代の写真は出さない事。
私は10代の頃の自分自身を抹殺する事にしたのだ。
代わりに私は猫を飼った。名前は「横綱」私が殺した10代の私の身代わり。
愛せなかった当時の自分への償いの様に私は「横綱」を愛で、甘やかす。
どんなに太っていても世界に1匹だけの君が大好き、
どんなに鳴き声が可愛くなくても、目つきが悪くて、愛想がなくても貴女の代わりはいないのよ。大好き。愛してる。
あの頃の私が言ってほしかった事を、全部彼女にいってあげる。
そして私は今日も大っ嫌いな豆腐を食べる。そして体重を計る。
私は今も過去の自分を殺し続けている。
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母と私と、居なくなった父
父が居なくなり、居ない生活がだいぶ普通になってきた。
母と二人でもろもろやりとりするのが普通になり、母の帰京の準備も着々とすすんでいる。
すっかり生活を取り戻した母を見ると、辛い出来事ではあるが人間やはりなんとか立ち直って、生活を取り戻すもんだな…と感慨深くなる。
父が居なくなった事で、何か変わってしまったといえば私の方だ。母を極端に心配するようになった。定期連絡の電話に出なければ何かあったのかもと取り乱し、束縛の激しい恋人かのように電話の着信を残しまくるようになった。
母からは鬱陶しそうなテンションの折り返し連絡がくる。
父が居なくなり、母の事を唯一の親族として認定してしまっている私は完全に母に過干渉になってしまった。
元々父方が三代続いた一人っ子家系のためほぼ親族がおらず、母方の親族も私とはかなり年齢が離れていたり、未婚の人間が多かったりで、かなり昔から、自分はうっかりするとかなり早い段階で天涯孤独の身になると恐怖していた。
どのくらい、天涯孤独をびびっていたかというと小学生の頃に、一人で留守番してる際に両親になにかあったら…と想像して大泣きして、帰宅してきた母をドン引きさせた事があるほどだ。
そんな私なので、今回父がいなくなり天涯孤独に大手がかかったという感じになり、突然、残された母に対して全力で過干渉になってしまったようだ。
そして完全に母にはウザがられてる。
遅かれ早かれ、天涯孤独にはなるのだからジタバタする事なく受け入れればいいのかもしれないが、それが出来ず日々もんどり打ってるのが現状である。
こんなことを言っていると自分で家族を持てば解決ではないか?という話も聞こえてはくるのだが、そちらの可能性が現状ほぼ皆無なので、やはり一人で生きていく事を覚悟するしかないのである。
あまりわかりやすい甘え方もせず、すぐに家を出たいといい進学と同時に家をでて、今となっては同居してた期間より、別居している期間の方がながくなった、可愛げのない娘がいまになって急に同居したいと言い出したり、定期連絡が無ければ不安がったり、だいぶ気持ち悪い変化だろうが、覚悟ができるまで母には遅れてきた甘える期だと思って我慢してほしい。
副賞のウニが受け取れない
前回かいた、研修の副賞のウニがまったく受け取れてない。
ウニが届いた日私は泥酔していて、美人の友人に手を引かれながらぐでんぐでんで帰宅したせいで不在票も翌日までみれなかった。
基本的にだらし無いので月一くらいでぐでんぐでんになってしまうのだが、その日とウニの到着が被ってしまった。
ウニが届いたらウニパスタつくってひとりでウハウハや!!とおもっていたのだが夢が叶わないまま二日がすぎた。
明日こそ!受け取ってやろう!!というやる気だけはある。
後から聞いた所によると泥酔した際には周囲がギリギリ笑えるレベルで暴れていたらしく、タイムマシンがあったら自分をめちゃめちゃしかりたいし、タイム風呂敷があったら生き直したい。
あとから送られて来る写真には傍若無人に初対面の人と笑顔で写真を撮るゴリラ(aka私)が写っていた。
一番おもしろかったのは、ギリギリ二足歩行を保っている時の自分の写真だった。
完全に初期のホモ・サピエンス感があり、霊長類ヒト科!という感じ満々だった。自分も自然の一部という実感を得た。
しかし、一番ショックだったのはまったく知らない人のInstagramに自分が写っていた事だ。
お調子者にもほどがある。
反省してしばらく酒を断ちたいと思った。
一年放置してみて、起こってたことやその他のこと
一年放置してみた。
その間あったことといえば、私は相変わらずダイエットをしているし(全盛期よりは痩せた)謎の自意識ともたたかってるし、それでもなんとかヘラヘラいきている。
あと、あんなに愛してたインスタント麺を自制している。自分でもびっくりだ。
ここに何も書かない間、あっという間に一年経ってた。
仕事の研修的なもので久々に文章を書いたら褒められたので、調子に乗って更新することにした。ちなみに、研修では副賞としてウニをゲットした。
ありがたいことに、死にかけたりすることもなく一年やり過ごせた。
一年で好きなモノが増えた。人並みに趣味と言えるくらいには音楽をきくようになった。趣味が欲しいという目標を達成できたと言っていいはずだ。
後、料理は完全に好きになった。人がめちゃめちゃご飯食べてるの好きなので、めちゃめちゃ作って振る舞う事を定期的にやるようになった。
色々あったが、一年色々もがいて「なんとかなる」という気持ちを手に入れられたのが一番の収穫だとおもっている。
昔から「なんとかなる」という感覚がわからず、色んなシーンで人とぶつかる事が多かったが、遂に「なんとかなる」の境地にたどり着け気がしている。これは私の周りの友人たちの影響が大きいとおもう。ありがたい話だ。
こうやって人変わっていくんだなと実感した。
やっぱり自分の昔を振りかえれるのはおもしろいので、記録はしておいて損はないかもしれないと改めておもった。
別にたいしてみていないのだからもっと色々書いておこう。
三十路のデブロード~そもそもなんでこんな事に?編~
そもそもなんで8㎏も太ったんだ。人間が太るにはそれなりの理由があるはず。
ちなみに、8㎏って結構すごいとおもう、大体満一歳の子の平均体重くらいある、赤子一人分だと思うと、本当にすごい。
とりあえず考えてみたところ、そもそも年を取って代謝が落ちたとか、元来はちゃめちゃ食いしん坊とかいくつか理由がある。
でも一番大きいのは自分の外見に関心がないというのが大きい理由だとおもう。
まず、私の家には姿見(全身が写りこむサイズの鏡)がない 。
というか、生まれてこの方自分の姿見を持ったことはない。
学生のころ、部屋にきたおしゃれな後輩には、「どうやって服の全体像とかみてるんですか?!」と指摘されたこともあった。
なお、服の全体像を確認するという文化がなくその事実もその後輩をびっくりさせていたようだ。オシャレな人は本当にストイックだとその時思った。
社会人になって定常的に化粧をするようになって初めて、洗面台備え付けでは無い鏡を買ったレベルで、なお今持って家には姿見がない。
実家に住んでいたころは母の部屋にはあったような気がしているがそれを借りたような記憶はない。
昔から、あまり自分の容姿が好きではなく、母にも「がっかり」と言われていたためかなり幼少のころから自身が「がっかりフェイス」である自覚が芽生えていた。
(もしかしたら、母から「がっかり」と言われていたから、自分の容姿が嫌いになったのかもしれないが、この際これはどうでもいい。)
そのせいで本当に洗顔の時以外に自分の顔を眺めることの少ない人生だった。
しかし、そうやって自分の有様を見ないで生きていたら。ちょいちょい肉が付いていく事に気づかなかったのが一番の原因だったのだろう。
あっという間に月日が流れ、あっという間に8㎏太った。
赤子一人分をどうにか減らさなければいけない日々の幕があがった。
同時に今まで自分の顔もロクに見てこなかった生活も変わることになる。
幸い、友人に美容情報を収集しているMちゃんがいたので、いろいろ教えてもらいながら、進めて行くことになった。
とりあえず、体重計を買い、そしてアイハーブのアカウントを作った。
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鏡のサイズを少し大きい物に買い替えた。
そして、古い化粧品をまとめてすてた。
「太っているのは自己管理が出来ていないから」
というその昔聞いた辛辣な言葉を胸に、次の誕生日まで生きて行くことになってしまった。